「部下」ではなく「メンバー」、「部隊」ではなく「チーム」
Ragateでは、社内コミュニケーションにおいて以下のような言葉の使い分けを意識しています。
「部下」という言葉は使わず、「メンバー」と呼びます。「部隊」という軍隊的な表現も避けて、「チーム」と表現します。また、「教える」という上から目線になりがちな言葉も、「共有する」という双方向性を持つ言葉に置き換えています。「従業員」という呼び方も、やはり「メンバー」としています。
これは単なる言葉の言い換えではありません。その背景には、僕が大切にしている組織観があります。
仕事上の役割≠人間的な上下関係
僕は、組織における上下関係とは「仕事上の責務や職務の違い」であり、「人間的な上下関係」ではないと定義しています。
確かに、経営者として最終的な意思決定の責任を負うのは僕です。プロジェクトリーダーには、そのプロジェクトの成否に対する責任があります。これは明確な役割分担であり、必要な構造です。
しかし、それは人間としての価値や尊厳に序列をつけるものではありません。経営者だから偉い、リーダーだから上、メンバーだから下という発想は、僕の中にはありません。
役割が違うだけで、チームとして価値を生み出すという目的において、全員が対等なパートナーです。だからこそ、言葉遣いもその思想を反映させたいと考えています。
言葉が作る組織文化
言葉は単なる記号ではなく、思考を形作り、文化を生み出します。
「部下」という言葉を使い続けていると、無意識のうちに「指示を出す側」と「指示を受ける側」という固定的な関係性が強化されていきます。「部隊」という軍隊的な表現を使えば、命令系統と服従という構造が前提になります。
一方で、「メンバー」「チーム」という言葉を使うと、それぞれが主体性を持ち、協働して目標を達成する仲間という関係性が醸成されやすくなります。「共有する」という言葉には、双方向のコミュニケーションと学び合う姿勢が含まれています。
僕たちが目指しているのは、上から指示が降りてきて、それを忠実に実行する組織ではありません。各メンバーが自律的に考え、意見を出し合い、チームとして最適解を見つけていく組織です。そのためには、言葉のレベルから対等性と協働の文化を育てる必要があると考えています。
状況に応じた柔軟性は持ちつつ
もちろん、この拘りを常に貫いているわけではありません。
会食などの外部とのコミュニケーションの場では、相手の言葉遣いや文化に合わせることもあります。「部下」という言葉を使う方に対して、「それは違います」と指摘するつもりもありません。それは相手の組織観であり、僕が口を出すことではないからです。
ただ、社内においては、この言葉遣いの原則を大切にしています。なぜなら、それが僕たちの組織文化の根幹に関わることだからです。
驚くほど普通に使われている「部下」「部隊」
正直なところ、他社の経営者との会話で「うちの部隊」「俺の部下」という言葉がごく自然に出てくることに、最初は少し驚きました。
それだけ、この表現が日本のビジネスシーンでは標準的だということでしょう。おそらく多くの方は、特に意識せずに使っているのだと思います。
でも、だからこそ、僕はあえて違う言葉を選びたい。Ragateという組織が、どんな価値観で動いているのか。それを言葉の端々から感じ取ってもらえるような環境を作りたいと思っています。
小さな拘りが、大きな文化を作る
結局のところ、これは小さな拘りかもしれません。言葉を変えたからといって、劇的に組織が変わるわけでもないでしょう。
でも、こうした小さな選択の積み重ねが、組織の文化を形作っていくのだと信じています。
メンバーが「自分は単なる駒ではなく、チームの一員として尊重されている」と感じられる環境。上下関係ではなく、役割の違いとして組織を捉えられる文化。そういったものを、日々の言葉遣いから育てていきたい。
それが、僕がRagateで大切にしている組織観です。













