創薬シミュレーションや構造解析、気象予測、そして大規模な生成AIの学習まで、ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)の需要はますます高まっています。一方で、オンプレミスのHPCクラスターは初期投資が大きく、繁忙期に合わせて用意した計算資源が閑散期には遊んでしまうという悩みが付きまといます。クラウドへ移せば弾力的にスケールできますが、今度はネットワーク設計やジョブスケジューラの構成といった専門知識の壁が立ちはだかります。本記事では、マネージドSlurmを提供する AWS Parallel Computing Service(AWS PCS)と、AIエージェント駆動の開発ツールである Kiro CLI を組み合わせ、対話しながらHPCクラスターを短時間で立ち上げるアプローチを紹介します。
クラウドHPCの立ち上げが難しい理由
オンプレミスのHPC環境をAWSへ移行したい、あるいはクラウドでHPCを新たに始めたいと考える研究者やインフラ担当者は年々増えています。クラウドであれば、ジョブが集中する時期だけ計算ノードを増やし、終われば縮小してコストを抑えられるからです。ところが、いざ構築に着手すると、想像以上に多くの作業が必要になります。
まず、計算ノードやログインノードを配置するためのVPCとサブネットを設計し、インターネットゲートウェイやNATゲートウェイ、セキュリティグループを適切に構成しなければなりません。さらに、ジョブスケジューラであるSlurmをインストールして設定し、共有ストレージを接続し、性能が出るようにチューニングする必要があります。これらはいずれも高度な専門性を要する工程で、数週間規模の時間がかかることも珍しくありません。HPCとクラウドの両方に精通した人材が限られている組織では、この立ち上げコストが移行の大きな足かせになっています。
AWS Parallel Computing Serviceとは
AWS Parallel Computing Service(AWS PCS)は、HPCワークロードをAWS上で実行・スケールするためのマネージドサービスです。中核となるのは、多くのHPC現場で標準的に使われているジョブスケジューラ Slurm をマネージドで提供する点にあります。クラスターの構成やスケーリング、スケジューラの更新といった運用の負担をAWSが肩代わりし、利用者は計算資源とジョブスケジューリングのポリシーに集中できます。
AWS PCS の環境は、いくつかの構成要素から成り立っています。クラスターが全体を束ねる単位となり、その中でコンピュートノードグループがジョブ量に応じて計算ノードを動的にスケールします。利用者が入り口として接続するのがログインノードグループで、投入されたジョブはキューに整列してから実行されます。さらに、Amazon EFS による共有ストレージや Amazon CloudWatch による監視ともネイティブに統合されており、本来なら個別に組み上げる必要があった連携をスムーズに実現できます。小規模な検証から大規模な本番ワークロードまで、同じ仕組みで弾力的にスケールできる点も魅力です。

AIエージェント駆動ツール Kiro CLIとは
Kiro CLI は、自然言語による対話を通じて開発やインフラ運用を支援するAIエージェント駆動のツールです。単にコマンドを補完するだけでなく、特定のワークフローに特化した「カスタムエージェント」を定義できる点が大きな特徴です。エージェントには、ドメイン固有の知識や、実行を許可するツール、振る舞いを規定するプロンプトをあらかじめ組み込んでおけます。
また、Model Context Protocol(MCP)を通じて外部のツールやドキュメントと連携できるため、エージェントはプロジェクトの文脈を理解したうえで、状況に応じた的確な支援を提供します。反復的な作業を任せたり、チーム内でエージェント定義を共有してベストプラクティスを標準化したりといった使い方も可能です。こうした仕組みにより、汎用的な自動化ではなく、実証済みの方法論を特定のインフラニーズに合わせて適用するというアプローチが実現します。
AWS PCSとKiro CLIでデプロイを加速する仕組み
AWS PCS のクラスター構築には決まったパターンがあります。Kiro CLI のカスタムエージェントは、この実証済みのデプロイパターンをあらかじめ内包しているため、利用者は一般的なニーズやユースケースを伝えるだけで、複雑なアーキテクチャの構築をエージェントに委ねられます。参考にした AWS 公式ブログでは、専用のデモリポジトリと HPC 向けエージェントを用いることで、従来は数週間を要していた作業を数時間規模まで短縮できると紹介されています。
エージェントの動きは、いくつかの段階に整理できます。最初のディスカバリーの段階で、エージェントはAWS認証情報や既存の環境を確認します。次に、確認した内容をもとに推奨する構成を提示し、利用者の合意を得てからインフラを実際に作成します。作成後は接続確認やコストの見積もりまで案内してくれるため、初めてHPCクラスターを構築する担当者でも、要所ごとに判断しながら安心して進められます。人が細かなパラメータを一つずつ調べて設定する必要がなくなることが、立ち上げ時間の短縮に直結します。

実際の構築フローと活用シナリオ
実際の流れを見てみましょう。まず前提として、Kiro CLI をインストールし、デモ用のリポジトリを取得します。ローカルのAWS認証情報が有効かを確認し、必要に応じて外部ドキュメントを参照するためのMCPサーバーを設定しておきます。準備が整ったら、HPC向けのエージェントを起動し、「ベストプラクティスに沿って最初のクラスターを作成したい」といった要望を自然言語で伝えます。
すると、エージェントはVPCとパブリック・プライベートのサブネット、ゲートウェイやセキュリティグループ、IAMロールや起動テンプレートといったネットワーク基盤を用意し、その上に AWS PCS のクラスター、コンピュートノードグループ、キューを構成していきます。構築が終われば、ログインノードへ接続してテストジョブを投入し、想定コストを確認するところまで対話の中で進みます。なお、エージェントが途中で細部を見失うこともあるため、指示は直接的かつ具体的に伝え、生成された構成は人の目で検証することが推奨されています。
このアプローチは、オンプレミスHPCからの移行を検討する研究チームや、プラットフォームエンジニアリングの人材が限られる組織で特に効果を発揮します。科学計算やヘルスケア・ライフサイエンス分野の解析、CAEによる構造・流体シミュレーション、さらには大規模な生成AIの学習といった幅広いワークロードで、基盤構築の初速を大きく高められるでしょう。
HPCのAWS移行はRagateにご相談ください
AWS PCS と Kiro CLI の組み合わせは、HPC基盤の立ち上げを驚くほど手軽にしてくれます。とはいえ、オンプレミスからの本格的な移行では、既存ワークロードの棚卸しや移行方式の選定、コスト設計、運用の内製化といった検討が欠かせません。Ragate株式会社は、AWS FTR認定を取得した専門チームが、7R戦略に基づく段階的で確実なクラウドネイティブ移行を伴走支援します。代表の益子竜与志による書籍『AI駆動で進める「小さく確実な」クラウドネイティブ移行』の知見も踏まえ、生成AIを活用した効率的な移行から運用定着まで一気通貫でご支援します。クラウドHPCの導入やAWS移行でお悩みの際は、ぜひ Ragate までお気軽にご相談ください。

















